アリゾナ州ノガレスとソノラ州ノガレスのあいだの国境検問所に立つと、社会科学全体のなかでもっとも有名な謎のひとつが、コンクリートと金網のフェンスとして目の前に展開されているのが見える。この二つの都市は名前を共有し、砂漠気候を共有し、同じ埃っぽい土壌を共有し、多くの場合は同じ祖先まで共有している。条約によって引かれた一本の線で家族が分断されているのだ。それでも北側では、世帯収入は数倍高く、学校はより長く続き、道路は舗装されたままで、平均寿命は何年も長い。サボテンはフェンスを境に変わったりしない。降水量も変わらない。変わるのは何か別のものだ。
たった一枚のあのフェンスは、経済学者や地理学者や歴史学者が何世紀ものあいだ議論してきた問いについての、一種の自然実験になった。すなわち、なぜある国は豊かでほかの国は貧しいのか、そしてなぜ貧しい国はかくも頻繁に貧しいままでいるのか、という問いだ。正直に言えば、誰もきれいな公式を持っていない。しかしこの論争は、地理対制度という二つの大きな陣営へと結晶化してきた。そしてその両者のあいだの緊張を理解すれば、発展が実際にどう機能するかについて、知るべきことのほとんどがわかる。
地理の陣営:場所こそが運命
もっとも古い直観は、富は地図に従うというものだ。地球儀を見るとあるパターンが目に飛び込んでくる。もっとも豊かな国々は温帯に集まり、もっとも貧しい国々の多くは熱帯に位置している。地理学者であり生理学者でもあるジャレド・ダイアモンドは、広く読まれた著書『銃・病原菌・鉄』のなかで、これは近代史の偶然ではなく、何千年もの単位で測られる先行スタートだったと論じた。彼が指摘したところによれば、ユーラシアは東西の軸に沿って伸びていたため、作物や家畜は霜やジャングルの壁にぶつかることなく、似た気候を横切って広がることができた。南北アメリカとアフリカは南北に伸びていたため、あらゆる有用な植物や動物が過酷な気候の障壁を越えなければならなかった。ユーラシアの社会はより早く農耕や、人口密集や、文字や、鉄を手に入れ、そのリードは雪だるま式に膨らんでいった。
経済学者ジェフリー・サックスは、地理の論を、より現在形で押し進めてきた。疾病負担: 暖かく湿った気候で繁栄するマラリアは、働き盛りの労働者を殺し投資を遠ざけることで、歴史的に熱帯の経済を疲弊させてきた。農業: 熱帯の土壌はしばしば、若く肥沃な温帯の氾濫原や氷河堆積平野の土壌よりも古く、栄養分が雨で流れ落ちている。海へのアクセス: 内陸国、とりわけ熱帯の内陸国は、商品を世界市場へ運ぶのにはるかに高い費用を払っており、世界でもっとも貧しい国々のうち異常に多くの割合が海岸線をまったく持たない。これらの力のどれも、怠惰や政策の不運に関するものではない。それらは緯度と、降水量と、海岸線の形に関するものだ。
制度の陣営:川よりもルール
対抗する陣営は、地理は脇役にすぎず、本当の原動力は人間がつくったもの、すなわちゲームのルールだと言う。制度とは、法律や、裁判所や、財産権や、政治的な取り決めのことであり、ふつうの人々が自分の生産したものを保持できるか、そして自分たちがどう統治されるかについて発言権を持てるかを決める。経済学者のダロン・アセモグル、サイモン・ジョンソン、ジェイムズ・A・ロビンソンが、この議論のもっとも影響力のある形を築き上げた。その業績は2024年にノーベル経済学賞によって認められた。
彼らの区別は、包摂的制度と収奪的制度のあいだにある。前者は経済的・政治的な力を広く分散させ、財産を保護し、革新に報いる。後者は富と力を狭いエリート層へと流し込み、ほかのすべての人を締めつける。包摂的なシステムは、人々に投資し、建設し、学び、リスクを取る理由を与える。なぜなら、その果実を享受できると期待できるからだ。収奪的なシステムはその逆をする。明日にも独裁者や植民地総督に奪われるかもしれないのに、なぜ農場を改良したり事業を始めたりするだろうか。この語り口では、ノガレスのフェンスは決定的な証拠だ。両側で地理は同一なのだから、その格差は二つの都市が受け継いだ制度から来ているにちがいない。一方の制度はアメリカ合衆国に根ざしており、もう一方は南側の異なる政治史に根ざしているのだ。
植民地による運命の逆転
制度の陣営は、際立った歴史的展示物を持っている。五百年前、地球上でもっとも繁栄し、人口が密集し、技術的に進んでいた場所のいくつかは、熱帯と亜熱帯にあった。ムガル帝国のインド、アステカとインカの領域、西アフリカの裕福な交易社会だ。今日では貧しい地域の多くがかつては比較的豊かであり、今日では豊かな地域の多く、寒冷で人口がまばらだった北アメリカを含めて、かつては比較的貧しかった。研究者はこれを運命の逆転と呼んでおり、それは純粋な地理の物語にとって都合が悪い。なぜなら、もし暑い気候が単純に経済を破滅させるのであれば、序列は何世紀にもわたっておおむね同じままであるべきで、ひっくり返るべきではないからだ。
アセモグル、ジョンソン、ロビンソンは、この逆転はヨーロッパ列強が異なる場所をどう植民地化したかから生じたと論じる。ヨーロッパ人が密集した人口と既存の富を見いだした場所では、彼らはしばしばそれを上澄みのようにすくい取るための収奪機構を築いた。すなわち強制労働、貢納、プランテーション、そして集中した支配だ。ヨーロッパ人がよりまばらな入植地を見いだし、農民や入植者として移り住むことができた場所では、彼らは本国にあるものに似た包摂的制度を、財産権や代議機関を備えて植えつける可能性がより高かった。なぜなら、そうしたルールが彼ら自身の利益を保護したからだ。何世代も前に敷かれたそれらの植民地時代の選択は、独立後も長く存続する法的・政治的システムへと固まっていった。帝国が収奪を築いた場所と入植を築いた場所の地図は、と彼らは論じる、今日の貧困の地図を予測する。
なぜこの論争は死なないのか
勝者を宣言したくなるが、証拠のもっとも明快な読み方は、地理と制度は互いの対抗者というよりは、もつれ合っているというものだ。地理がそもそも制度を形づくることが多い点に注目してほしい。砂糖プランテーションに適した熱帯の海岸は、残酷で奴隷制に基づく収奪的な経済を事実上招き入れた。一方、小規模農場の広がる温帯のフロンティアは、社会を広範な土地所有と包摂的なルールへと押しやった。気候と作物が直接に人々を貧しくしたのではないが、それらは特定の種類の悪い制度をはるかに起こりやすくした。だからノガレスのフェンスと、地球儀の上の緯度線は、ひとつの物語の二つの半分を語っているのかもしれない。
制度の物語が誇張しがちな、より謙虚な論点もある。地理は今なお直接に噛みついてくるのだ。内陸と僻地: 大陸の奥深くにある国は、どんな憲法でも撤廃できない現実の輸送ペナルティを払う。疾病生態系: マラリアの制御には持続的な資金と医薬品が必要であり、それこそまさに貧しい国に欠けているものであって、貧困と疾病が互いを養い合う罠が生まれる。天然資源: 石油やダイヤモンドが豊富であること、ときに資源の呪いと呼ばれるものは、実は収奪的な政治を定着させかねない。なぜなら、小さなエリート層は、生産的で課税され権限を与えられた人口を必要とせずに、地面から噴き出す富をつかみ取ることができるからだ。ここでは地理(土の下に何があるか)と制度(誰がそれを支配するか)が、競い合うのではなく明らかに相互作用している。
貧しい者を貧しいままにする罠
深い原因が何であれ、経済学者は貧困を自己強化的にするいくつかの仕組みを記述しており、それが貧困からの脱出をこれほど難しくしている。貧困の罠とは、今日貧しいことが明日に貧しさをやめることをより難しくする、あらゆる悪循環のことだ。低い収入は低い貯蓄を意味し、それは道路や工場や学校へのわずかな投資を意味し、それが収入を低いままにする。健康がすぐれないと、子どもは学校を休み、大人は仕事を休み、それが家族を貧しいままにし、それが健康をすぐれないままにする。
制度はそれ自身の罠を加える。小さなエリート層が国家を捕獲したとき、それはしばしば、経済を成長させるまさにその改革を阻止するあらゆる動機を持つ。なぜなら、成長は自らの支配を脅かす富と力の対抗的な中心を生み出すかもしれないからだ。経済学者はこれを、創造的破壊への障壁と呼ぶ。創造的破壊とは、新しい企業や技術が古いものを押しのける、混沌とした過程のことだ。そこに紛争が加わると罠はさらに深まる。戦争はインフラを破壊し、熟練した人々を散り散りにし、発展に必要な長期的な投資を怖がらせて遠ざけ、そして貧困は今度は社会を紛争により陥りやすくする。これらのループは自然の法則ではないが、粘り強くまとわりつく。だからこそ、ほとんど変化のないまま何十年もが過ぎうるのだ。
脱出者たちからの教訓
もっとも希望に満ちた証拠は、抜け出した国々から来る。なぜなら、その物語は貧困が永遠の宣告ではないことを示すからだ。韓国は鮮やかな事例を提供する。1950年代初頭、それは地球上でもっとも貧しい場所のひとつであり、戦争で荒廃し、天然資源はほとんどなく、困難で山がちな地理を抱えていた。およそ二世代のうちに、それは豊かでハイテクな経済になった。その変容は、北朝鮮との対比のうちにとらえられる。北朝鮮は、似た場所から、似た人々と言語とともに出発したが、収奪的で中央集権的に統制された道を進んで停滞した。中国が1970年代末にその経済を改革し開放し始めたあとの急成長は、何億もの人々を極度の貧困から引き上げた。これは人類の窮乏のうち、記録に残るもっとも大規模な削減のひとつだ。ボツワナは制度学派によってしばしば引き合いに出されるが、比較的説明責任のある統治と、ダイヤモンドの富の慎重な扱いによって、資源の呪いの教訓的な事例ではなく、アフリカの発展の成功例のひとつとなった。
これらの事例は、地理対制度の試合において単一の勝者に冠を授けたりはしない。韓国は過酷な地理を乗り越えた。ボツワナはほかの国々を沈めた資源の呪いを避けた。中国は地図を変えずに制度を変えた。これらに共通するのは、ふつうの人々が投資し、生産し、自分のつくったものをより多く保持できるようにする何かが、ルールのなかで変化したということだ。地理はスタートラインと障害物を設定したが、走り出した走者たちは、自分が走るルールを変えることでそうしたのだ。
重要なポイント
なぜ一部の国が貧しいままなのかという問いに単一の答えはなく、ひとつの答えを差し出す者は誰であれ、証拠が支えていない確実性を売りつけているのだ。地理の陣営は、ジャレド・ダイアモンドの深い歴史からジェフリー・サックスの疾病・土壌・海へのアクセスへの注目まで、物理的な地図がある社会には先行スタートを与え、ほかの社会には根強いハンディキャップを背負わせたことを示している。制度の陣営は、アセモグル、ジョンソン、ロビンソンのノーベル賞受賞の業績を錨として、ノガレスのフェンスや植民地による運命の逆転といった事例を通じて、社会が受け継ぐルールが、包摂的であれ収奪的であれ、その気候よりも重要でありうることを示している。もっとも弁護しうる見方は、両者が絡み合っているというものだ。地理はしばしばどの制度が現れるかを形づくり、一方で制度はその国が自らの地理を乗り越えられるかを決める。貧困は、低い投資、すぐれない健康、捕獲された国家、そして紛争という自己強化的な罠を通じて存続する。それでも韓国、中国、ボツワナの脱出は、ゲームのルールが人々に富を築き保持させるよう変わるとき、それらの罠は打ち破ることができると証明している。場所は扉を開きもすれば狭めもするが、社会が自らの制度について下す選択こそが、そこを通り抜けるかどうかを決めるのだ。
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